国産ウイスキーの中で最高級品として名高い山崎50年。
発売当時はサントリー史上最高酒齢ウイスキーとして世界中から注目を集めた超希少な限定品です。
後の2020年に発売された山崎55年に最高酒齢ウイスキーという称号は譲ることになりましたが、現在もなお一目も二目も置かれる存在であることに変わりはありません。
そんな幻のウイスキーとなった山崎 50年を詳しく見ていきましょう。
山崎50年は3回リリースがあり、デザインもそれぞれ異なります。
ファーストリリースである2005年、発売本数は50本、
セカンドリリースは2007年、発売本数50本、
サードリリースは2011年、発売本数150本、
いずれも700ml 定価100万円での販売です。
酒販店やデパートでの先着順にて販売が行われ、受注開始後に即完売となりました。
発売当初、100万円するウイスキーということで話題になりましたが、ファンにとっては安く感じたのかもしれません。
使われている原酒はどういったものなのでしょうか。
『サントリーが保有する貴重な日本産ミズナラ樽原酒を主体に、酒齢50年以上経つ
希少な数樽を厳選・吟味してヴァッティングしたシングルモルト。
原酒たちは、今から50年以上前の1950年代前半に、国産大麦を山崎蒸溜所の製麦場で
発芽させ、山崎の名水で仕込み、発酵の後、日本の初号ポットスチルで丁寧に蒸溜されました』
とのこと。主な構成成分は、1960年と1961年に蒸留された原酒となっています。
この原酒がどういった経緯で生まれたか知るためには、山崎蒸溜所の歴史を見ていく必要があるでしょう。
1923年(大正12年)、日本最古のウイスキー蒸溜所が誕生しました。
それが「サントリー山崎蒸溜所」です。
建設は初代マスターブレンダーでサントリー創業者、鳥井信治郎氏により着手されました。
着手にあたり鳥井氏は、有識者として竹鶴政孝氏を技師として迎えます。
そのころの竹鶴氏は摂津酒造の命によりスコットランドでウイスキー製造を学んで帰国し、いざ国産ウイスキーの製造をと考えていましたが、状況的に叶わずとうとう摂津酒造を退社してしまっており、中学校の化学教師として働いていたのでした。
そんな状況下で鳥井氏に引き抜かれた竹鶴氏はまず、蒸溜所を作る場所探しを始めます。
ウイスキーに適した土地の条件は【水】と【気候風土】です。
水はウイスキーの性格にも関係する非常に重要な要素で、気候風土もまた作られたウイスキーを熟成させる際に重要な要素となります。
山崎は安土桃山時代に千利休が茶室を構えた地で、日本名水百選にも選ばれています。
気候風土でいうと山崎は川と山に囲まれています。
近くには桂川・木津川・宇治川が流れており、天王山と男山に囲まれた山崎蒸溜所の土地は霧がよく発生するほど湿度の高い場所です。
ウイスキーの熟成には長い年月が必要で、樽の乾燥を防ぐためにも適度な湿度が必要となります。
実は山崎の地は竹鶴氏にとっては第一希望の地ではありませんでした。
竹鶴氏はスコットランドで学んだ土地柄に近い場所が一番最適と考えていました。
よって北海道が一番適した土地と考え鳥井氏に推しましたが、消費地から遠いと輸送コストがかかる・工場見学ができないなどといった理由により却下されます。
そこで竹鶴氏は関西圏で土地を探した結果、山崎にたどり着きます。
竹鶴氏は山崎の地のことを「スコットランドのローゼスの地に似ている」と評したそうです。
山崎という地は2人の意見を一致させた結果と言えます。
場所が決まったら次は設計設備と続きます。
ウイスキー製造に欠かせないのは蒸溜器のポットスティルです。
ポットスティルの形状、素材によって出来上がるスピリッツの性格が異なるため、非常に需要な設備です。
もちろんこの頃の日本ではポットスティル以前にウイスキー事態の認識が無い頃ですのでスコットランドから設備を取り寄せるか新たに製作から進めるしかありません。
竹鶴氏はスコットランド留学の際にとっていたメモを頼りに大阪の鉄工所に依頼をかけます。
現在は16基のポットスティルが稼働していますが、始めは2基の初留釜と再留釜でした。
巨大なポットスティルは、淀川を船で輸送して蒸溜所まで運んだそうです。
日本初のポットスティルはここで誕生しました。100%銅製で作られたポットスティルには製造した大阪銅鉄工所の記載がみられ、今は役目を終え山崎蒸溜所の顔として飾られています。
さて、2基のポットスティルは蒸溜所に届きましたが、焚口とポットスティルの鍋底がどのくらい離れているのがよいのか、竹鶴氏はスコットランドで非常に細かくメモを取っていましたが、ここに関してはわかりませんでした。
何度も試行錯誤を重ねていくのでした。
さらに酵母もスコットランドとは違い、ビールを作る酵母しか手に入らなかったり、発酵がうまくいかなかったりと数多くの失敗を重ねながら製造を進めていきました。
悩みの種は製造だけにとどまりません。
この頃の酒税法は「造石税」と呼ばれるものでした。
明治時代、地租と酒税が明治政府の主な財源となっていましたが、さらに酒税を安定的に徴収するため造石税が発布されました。
これは、日本酒を製造し、搾り取るときの量によって決まる税となります。
例えば搾り取った後にこぼれて製品にならなくなっても税金は変わらないのです。
この税になってから蔵元は1年以内に売り切ろうといった動きとなり、江戸時代にはあった長期貯蔵させるといった考えが廃れてきます。
ウイスキーとなるとさらに過酷で、日本酒と違い数年熟成させる必要があり、さらに熟成中に年間2%程液体が蒸発によって減ります。
このままの酒税法ではウイスキーを作ることに困難が生じるため政府と交渉を続けます。
竹鶴氏はスコットランドの徴税手法を説明し、ようやく「庫出税」となります。
これは販売するために蔵から出したときにその量で決まる税金となります。現在でもこの徴税がされています。
このような苦労の連続ののち、日本初のウイスキーである【白札】が誕生しました。
関係者たちはようやく製品第一号を発売することができたことに喜んでいましたが、竹鶴氏だけは納得がいっていないようでした。
竹鶴氏はスコットランドで学んだブレンデッドこそが至高と考えており、留学先であったキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所では「数%でも長期熟成モルト原酒をブレンドすることが完成度を高める秘訣である」と信じていたためです。
鳥井氏にとって10年以上の長期熟成に舵を取ることは考えられませんでした。
白札は最長4年のモルト原酒に中性アルコールと水を加えて作られており、竹鶴氏が納得できるウイスキーではなかったのです。
発売された頃にはスコッチの有名ブレンデッドメーカーであるジョニーウォーカーと比べられ、「アルコール臭い」とあまり高評価は得られませんでした。
この後【赤札】が発売されるも鳴かず飛ばずで、結局竹鶴氏の言う通りに原酒の長期貯蔵が続けられます。
もし、白札と赤札が人気となっていたら、原酒を長期貯蔵することも無かったかもしれません。
結果として長期貯蔵された原酒を使って【角】が発売され、爆発的な人気を得ることとなるのです。
山崎50年は山崎蒸溜所ができた時点での日本初のポットスティルによって精製された原酒が使われています。
味わいもさることながら、歴史を紐解く意味でも非常に貴重なウイスキーと言えるでしょう。
山崎蒸溜所はこの後も発展を続けていくわけですが、その中でミズナラに出会います。
山崎50年といえばミズナラ樽で熟成した原酒が使われていますが、どういった経緯でミズナラが使われるようになったのかまとめていきます。
ミズナラを用いたウイスキー樽は、世界で初めてサントリーがオリジナルで開発・製造しました。
時は1940年代の第二次世界大戦終戦間際のことでした。
この頃は日本国内で物資不足に陥っており、樽材を海外から輸入することが非常に困難な状況でした。
本来であればスコットランドの製造を参考にしているため、ヨーロッパ産のシェリーを熟成するために使用していたオーク樽(=シェリー樽)を輸入したいと考えていたのですがそれが叶いませんでした。
そこで、同じオーク(楢)であるミズナラに注目しました。
ミズナラというのは国内で自生している楢の木の一種で、燃えにくいのでよく建築や高級家具に使われていました。楢の木のなかでも特に水分量が多く含まれる木材なので「水楢」という名前が付いたといわれています。
しかし、樽材として使用すると、液体が漏れ出してくる自体となり、改良を重ねていきます。
結果ミズナラ樽に使えるミズナラの木は樹齢200年以上とである必要があるとわかり、より生産が限られる貴重な樽となりました。
また、ブレンダーからは新樽のミズナラ樽で熟成すると木香が強すぎてあまり評価が高くありませんでしたが、長期熟成することによって伽羅(きゃら)や白檀(びゃくだん)を思わせる香りに変化していました。
伽羅・百壇といえば香木の一種で、インド・ベトナムなどアジア圏で神に祈りをささげるときに焚き上げるお香であり、特に上質な伽羅は金より高く、1gあたり50,000円ほどで取引される貴重品です。
ミズナラ樽は始め、シェリー樽の代用として使われるようになった樽材ですが、長期熟成を経ることにより得も言われぬ高貴な香りを手にすることができました。
現在では世界中で高評価を受けておりますが、それは単純にミズナラ樽を使ったからだけではなく、時間・原料すべてが重なった結果と言えるでしょう。
今現在は2001年より安定的に北日本木材より北海道の富良野などから厳選した北海道産ミズナラを仕入れ、樽材として使われています。
ミズナラ樽で熟成した原酒の特徴といえば、赤みの濃く深い琥珀色。
香木の伽羅(きゃら)を思わせる芳香、加えてよく熟した果物のような甘やかさを含む豊かな熟成香。
また、ごくかすかな燻煙香とともに甘く濃厚な余韻がつづきます。
年月とともに奥深い香りを帯びながら口当たりはまろやか。
山崎50年の骨組みとなっているのがミズナラであることがよくわかりますね。
中身の貴重さがわかったところで、リリースごとの特徴を見ていきたいと思います。
2005年に50本限定という非常に少ない本数での販売となった山崎50年ファーストロット。
予約開始に伴い発表会が行われ、当時マスターブレンダーであった鳥井信吾氏、同じくチーフブレンダーであった輿水精一氏が出席し、
「このウイスキーは、ウイスキー造りに関わった人たちを含め、50年の歴代ブレンダーたちの仕事の集大成です」
と語ったとのこと。
ほとんどが地元のバー関係者が所有したということもあり、未開封のウイスキーとして現存する本数はほぼないと言われている大変貴重な1本です。
ボトルはフラッグシップブランドである「山崎」の瓶の型を踏襲した豪華なクリスタルボトルです。
このボトルは山崎蒸留所のある京都大山崎にあるアキツ産業株式会社が制作したものです。
これまでのガラス加工は文字を掘り出すような簡単な加工しかできませんでしたが、金属加工で使うサンドブラスト技工をガラス加工に発展させることに成功します。
サンドブラスト技工というのは金属の錆を落とす技法で、部品作成の一部の工程でした。
この技法をガラスに応用することによって、筆で描くような繊細な表現が可能となりました。
そのサンドブラスト技工を使ってボトルに筆文字で「山崎」と彫り込んでいます。
口部は和紙で包まれ、オーク材を使った特製木箱にボトルが収められていて、非常に重厚感がある装飾となっています。
2007年9月11日に50本限定で再販されることとなった山崎50年。
2005年、2011年は発売から翌日完売でしたが、2007年だけは当日で完売してしまいました。
見た目での違いは2005年とほぼ同じオーク材の特製木箱ですが、木箱下部に〔BOTTLED IN 2007〕と刻印があります。
2011年12月13日に150本限定で発売され、翌日完売となりました。
特製木箱が黒色になり、ボトル口部分に装飾されている紐が赤色となります。
どんな特徴があるかと、なぜこんなに人気が高いのかがわかったところで、過去の落札実績を見ていきたいと思います。
山崎 50年はジャパニーズウイスキーのなかでもトップクラスの価格がついている銘柄です。
では一体過去にいくらくらいで落札されているかを見ていきましょう。
2015年、海外のオークションで約490万円で落札されました。
その後、2018年1月に別の海外オークションに出品され、落札価格は約3270万円となりました。
この時のボトルにはチーフブレンダーのサインが入っていたため、前回の落札額より高くなったのではないかと言われています。
サザビーズの担当者は「日本産ウイスキーの落札額としては過去最高だ」と答えたそうです。
2019年10月4日に開催された海外のオークションに出品され、約3217万円で落札されました。
またもや山崎50年が日本産ウイスキーの最高落札額を塗り替えました。
2012年の5月の国内オークションで951,000円で落札されました。
その後同年10月に900,000円で落札されます。
この頃は国内オークションということもあり、定価にも届かない金額で落札されていたのが驚きです。
翌年の2013年5月26日には、約153万円で落札されたのを皮切りに落札金額は上昇を続けております。
2015年には300~400万円で落札、
2016年には1300万円と大台に乗り、
2018年には2000万円、
2020年には3,000万円を超える価格まで上昇しております。
海外のオークションなどで、国内価格よりも高額な取引価格を見るケースもありますが、現在は海外への持ち出しが厳しく、関税や物品税の支払いを考慮すると、国内で売却しても最終手元に残る代金としては同等になるケースが多いです。海外に持ち出す破損や盗難リスクが高すぎるので、リスク部分を考慮しても国内で確実に換金する事をオススメしてます。
現在2005年ファーストロットは世界でも12本しか現存しないといわれています。
同じ【山崎50年】でも価格に違いが出るのは当然かもしれません。
とはいってもどれも4桁を超える結果で落札されています。
今後も落札価格は上がっていくのでしょうか。注目ですね。
弊社で毎月開催している【Lオークション】では日本各地のコレクター様、古物商様より貴重な商品が集まっています。
過去には山崎35年や響35年など、展示レベルの貴重品が出品されたこともあります。
逆に「今飲みたい!」手の届くお酒と出会えるのも【Lオークション】の魅力です。
国内での開催で、長年古酒を扱ってきた蔵王が主催しているため、ビギナーの方も安心して参加できる点も【Lオークション】が選ばれている理由ですが、価格の方もしっかりしています。
購入者の多くは国内コレクター様や海外のオークションに参加されているバイヤー様ばかり!
貴重なお品には何百件と入札が入って盛り上がること必至です。
【Lオークション】は日本国内にご住所をお持ちであればいつでも参加可能です!
皆様のご参加をお待ちしております。
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